仕事が大変なとき、誰かに話を聞いてもらいたくなることがある。
家族や友人に話す人もいれば、カウンセラーや専門家を頼る人もいる。
けれど、人が人を支える方法は、それだけではない。
ある日、ふと思った。
人は、自分より前に同じ重さを担った人たちにも、抱えられているのではないか。
たとえば、初めて上司になったとき。
部下だった頃に見ていた上司の姿を、ふと思い出すことがある。
その立場に立って初めて、あの人が抱えていた重さに気づく。
では、上司のいない立場ではどうだろう。
例えば、代表はどうだろう。
その人が背負っているものを、本当の意味で理解できる人は、それほど多くない。
会社の歴史。従業員の生活。取引先。家族。自分の人生。
「やめたい」と言って簡単にやめられるものではない。
そんなとき、支えになるのは、必ずしも目の前にいる相談相手だけではない。
先代がどう生きたのか。
その前の当主が何を守ったのか。
過去の経営者たちは、どんな孤独を抱えながら決断したのか。
そうした歴史の中に自分を置くことで、
「これは自分だけが背負っているものではない」
と思えることがある。
総理大臣なら、歴代の総理大臣がいる。
天皇には、歴代の天皇がいる。
アーティストには、過去の芸術家や、同じ時代を生きる表現者たちがいる。
同じ位置に立った人間の存在そのものが、いまを生きる人を支えることがある。
これは、ロールモデルという言葉だけでは少し足りない。
その人を真似したいのではない。
「この重さを、人間は抱えることができる」という証拠を受け取っている。
そんな感じに近い。
そして、この役割を果たすのは、人間だけではない。
音楽を聴いて、救われたことはないだろうか。
自分ではうまく言葉にできなかった気持ちを、歌手がすでに歌にしている。
小説を読んで、自分のことを書かれているように感じることがある。
漫画やアニメの登場人物を見ながら、自分の中にあった怒りや悲しみを、初めて理解することもある。
映画館を出たあと、それまで考えられなかったことを考えられるようになっていることもある。
作品は、こちらの問題を直接解決してくれるわけではない。
それでも、
まだ自分では扱えなかった感情に、ひとつの形を与えてくれる。
悲しみが音楽になる。
怒りが物語になる。
孤独が絵になる。
言葉にならなかったものが、誰かの作品の中では、すでに言葉や色や音になっている。
人は、そうした「形」を一時的に借りながら、自分の経験を受け止めているのかもしれない。
だから、仕事を終えて音楽を聴くことも、本を読むことも、漫画やアニメを見ることも、単なる暇つぶしとは限らない。
一日のあいだに受け取ったさまざまなものを、そこで少しずつ処理している。
文化に抱えてもらっている、と言ってもいい。
さらに考えてみれば、鮨屋やレストラン、車、服、ホテル、旅行にも、似た働きがある。
いつもの店のカウンターに座る。
好きな車の運転席に入る。
身体に馴染んだ服を着る。
知らない土地へ旅に出る。
ホテルの部屋で一人になる。
そうすると、仕事や家庭で担っていた役割から、一時的に離れられる。
「社長」でも、「医師」でも、「父親」でも、「部下」でもない時間が生まれる。
そこでは、言葉による相談とは別の仕方で、自分が元の形に戻っていく。
だから、人間が心を保つために必要なのは、一人の「支えてくれる人」だけではないのだと思う。
家族がいる。
友人がいる。
仕事がある。
尊敬する先人がいる。
音楽がある。
本がある。
映画がある。
お気に入りの店がある。
着ると自分に戻れる服がある。
歩きたくなる街がある。
何度も戻ってしまう作品がある。
そうしたものが、少しずつ違う部分を抱えてくれている。
むしろ、人が成熟していくというのは、
誰にも頼らなくなることではなく、自分を支えてくれるものを世界の中にいくつも持てるようになること
なのかもしれない。
一人の人間に、すべてを支えてもらわなくていい。
恋人だけに抱えてもらわなくていい。
家族だけでもない。
仕事だけでもない。
一人の専門家だけでもない。
歴史や文化や場所や物との間にも、自分を支えてくれる関係をつくることができる。
そして、さらに時間が経つと、立場が少し変わってくる。
かつて作品に支えられていた人が、今度は作品をつくる。
先代に支えられていた後継者が、次の世代に会社を渡す。
ある店に救われていた人が、自分の店をつくる。
誰かの言葉に支えられていた人が、今度は誰かに言葉を残す。
抱えられていた人が、やがて誰かを抱える文化の一部になっていく。
人間は、一人で自分を支えているわけではない。
生きている人だけでもない。
先に生きた人たち。
同じ時代を生きている人たち。
作品。
場所。
物。
受け継がれてきた形式。
そうした無数のものの中に自分を置きながら、人はなんとか自分であり続けている。
だから、心が疲れたときに問うべきことは、
「誰に相談すればいいのか」
だけではないのかもしれない。
私はいま、何に抱えられて生きているのだろう。
そして、
自分を抱えてくれる世界を、ちゃんと持っているだろうか。
そんな問いも、あっていい。